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22歳の卒園児

2025-08-05
15年前にjoyひこばえを卒園したR君.どうしても気になっていたので居場所を保探しました.当時の住所を訪ねると,表札にその性はありましたが玄関の戸は固く生活感のない家でした.当時のR君は小柄で目のクリッとした男の子でしたが,母親にもやや知的な問題があって,卒園後のR君の行く末が気になっていました.卒園時のR君はコミュニケーションもできて,ことばもそこそこに出ていましたが,落ち着きのない行動が気になっていました.ずっと彼のことが気になりながらいつの間にか15年が流れ,この5月の連休に自宅を訪ねた次第です.しかし残念ながら会うことはできず,7月になってもう一度訪ねて見ましたがやはり玄関はあきません.そこでいくつかの相談支援事業所を当たり,本人の居場所を聞き出しました.本人と連絡を取りたいというと,それを相談支援員が伝えてくれて,本人からすぐに電話がありました.私が「joyひこばえの緒方です.覚えていますか」というと彼は「覚えてます.」と元気よく答え,「僕も会いたかった嬉しいです」と言ってくれました.私もうれしくなって近く会うことを約束しました.
 彼は今実家を出てグループホームで生活していました.日曜の朝,約束の時間にR君に会いに行くと,彼はグループホームの前に出て待っていてくれました.15年ぶりの再会ですから,それは6歳のころとは違って大人の姿になっていました.体格は小柄なままでしたが無精ひげを生やし,昔の面影をしっかり残して私の車の助手席に座りました.
彼との最後の別れは彼の卒園式の日で,式が終わって私は着替えて近くのうどん屋でお昼を食べていました.そこにひょっこりR君と母親が来て,彼と私は対面の状態になりました.母親は私に気が付かなかったのですが,R君はどうしてこの人はここにいるんだろうかといった眼差しでまじまじと私を見ていました.私は声をかけたものかと迷いながら結局何も言わずに席を立ったのが最後の別れでした.うまく成長してほしいと願いつつ,家庭の経済力などを心配してそのままになっていました.
 車の中でその後の話を聴くと,地域の中学校の支援クラスを卒業して経済的理由から高校にはいかず,外食産業の一般企業に勤めました.しかし,行動を落ち着かせる内服薬の副作用で体調を崩し,そこはやめてB型の作業所に移りました.その頃は知的障害から外れて療育手帳の対象ではなくなり,精神保健福祉手帳の2級となり,しかし,母親にも手帳が下りて福祉的就労となり,彼は家を出てグループホームに移り,生活保護の受給者となりました.そして今は就労継続支援B型の事業所で簡易作業についているとのこと.話してみると言葉も礼儀もしっかりしていました.もったいないと思い,もっと稼いで自立出来ることを言うと,高校に行きたいと答えました.一緒にjoyひこばえに行くと,懐かしいと何度も繰り返し,お昼に一緒にとんかつを食べながら正面にいる彼にかつての彼を重ねていました.帰りにグループホームまで送り,これから相談に乗ること,できるだけの支援をするからもっと高い自立を目指そうとラインを交換してわかれました.
 15年の時を超えて卒園児と再会し,発達障害があるにもかかわらず,しっかり覚えていてくれたことにうれしく思い感動しました.joyひこばえで出会った子たちのその後はみな気になっています.支援学校に行ってその姿を見ると,懐かしさよりも一生懸命頑張っている姿にホッとします.一方で残念ながらどうしてこうなってしまったんだろうと理由を探して訪ねることもあります.もはや私の手の届かないところにいても,その姿には何とかならないかと眠れないこともあります.初めて出会ったとき,母親とともに面談する中で親の戸惑い,苦しみを聴いた時の姿はよく覚えているものです.出会いが医療であれ,福祉であれそこから成人の姿をイメージし私に何ができるのかを問うことから支援が始まります.R君だけでなく,何人か気になる卒園児がいます.みんなそれぞれに幸せであってほしいと願います.子どもの施設にいるからこそ,10年,20年後に彼らと再会できる喜びを持てることは,心から嬉しい限りです.今後R君は私の下で働きたいといい,私もそれを約束しました.
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